
銀座の由来|地名の歴史と銀貨鋳造所からの400年をご紹介します!
「日本一の繁華街・銀座…そもそも『銀座』って、なんでこの名前なの?」と気になったことはありませんか。
銀座と聞くと高級店やショッピング街のイメージが強く、地名の由来までは知らない方も多いのではないでしょうか。
本記事では、銀座という地名の江戸時代の銀貨鋳造所から始まる400年以上の歴史を分かりやすく解説します。
読み終えるころには、銀座の街を歩くたびに、その背景まで感じ取れるようになります。
- 「銀座」という地名の由来:江戸幕府の銀貨鋳造所「銀座役所」が始まり!
- 銀座役所とはどんな施設?:銀貨の製造を担った重要な機関!
- 通称「銀座」が地名として定着するまで:正式町名は新両替町だった!
- 明治以降の銀座と煉瓦街:大火を経て文明開化の象徴へ!
- 「金座」と「銀座」の違い:もう一つの貨幣鋳造所も存在した!
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- 「銀座」が繁華街の代名詞になった理由:全国に広がる○○銀座の正体!
- 銀座の由来を感じられるスポット:発祥の地碑をめぐろう!
- よくある質問
- まとめ
「銀座」という地名の由来

「銀座」という地名の由来は、江戸幕府が設置した銀貨鋳造所「銀座役所」にあるのです。
慶長17年(1612年)、徳川幕府は駿府(現在の静岡市)から江戸へ銀貨鋳造所を移転させ、現在の銀座2丁目あたりに設置しました。
これが、地名としての「銀座」の出発点とされています。
当時の正式な町名は「新両替町」でしたが、銀座役所が置かれたことで、人々はこの一帯を通称「銀座」と呼ぶようになったのです。
つまり「銀座」とは、もともと地名ではなく、銀貨を作る役所の名前にすぎません。
400年以上前から続く、由緒ある呼び名だと押さえておきたいところです。
銀座の由来となった「銀座役所」とは

地名の起源である「銀座役所」は、当時の貨幣制度を支える重要な施設だったといえます。
では銀座役所が具体的にどんな施設だったのか、その特徴をひもといていきましょう。
銀座役所について押さえておきたいのは、次の2点です。
- 江戸幕府の銀貨鋳造所だった
- 駿府から江戸へ移されてきた
それぞれ見ていきましょう。
江戸幕府の銀貨鋳造所だった
銀座役所は、江戸幕府が銀貨を鋳造・管理するために置いた専門の役所です。
全国に流通する銀の品位(純度)を統一し、商取引を円滑にする目的で設けられました。
製造現場では「大黒常是」と呼ばれる役人が、銀貨の検定と銘の刻印を担っていたとされるのです。
この役職は代々世襲制で、銀貨の品質維持に大きな責任を負っていました。
幕府の経済を陰で支えた、たいへん重要な機関だったといえるでしょう。
駿府から江戸へ移されてきた
銀座役所はもともと駿府(現在の静岡市)に置かれていた、徳川家康のお膝元の銀貨鋳造所だったのです。
慶長17年(1612年)、江戸の経済機能を強化する流れのなかで、銀座役所は江戸の京橋南、現在の銀座2丁目あたりへ移されました。
これ以降、江戸での銀貨製造が本格化していきます。
なお、寛政12年(1800年)には不正行為の発覚を機に、銀座役所は蛎殻町(現在の日本橋人形町あたり)へ移転したのです。
しかし移転後も「銀座」という呼び名だけは、もとあった場所に残り続けました。
通称「銀座」が地名として定着するまで

「銀座」は江戸時代を通じて通称にすぎず、正式な町名ではありませんでした。
江戸時代の正式な町名は「新両替町」で、これは隣接する日本橋エリアの「両替町」と区別するために付けられた名称だとされます。
しかし、銀座役所の存在感は大きく、人々のあいだでは通称「銀座」が広く使われ続けたのです。
明治2年(1869年)の江戸町名改正により、ついに「銀座」が正式な町名となります。
通称が正式名称になるまで、実に250年以上かかった計算です。
それだけ「銀座」の呼び名が、人々に深く根付いていた証ともいえるでしょう。
明治以降の銀座と煉瓦街

明治時代に入って正式な地名となった銀座は、その後、近代日本を代表する街へと変貌を遂げます。
街並みを一変させた歴史的な出来事を、時系列で振り返ってみましょう。
銀座を文明開化の街へと変えたのは、次の2つの転機です。
- 1872年の銀座大火
- 文明開化のシンボル・銀座煉瓦街
それぞれ見ていきましょう。
1872年の銀座大火
明治5年(1872年)、皇居の和田倉門付近から出火した「銀座大火」で銀座・築地一帯の約95ヘクタールが焼失したのです。
当時の銀座は、江戸時代から続く木造家屋が密集した、典型的な下町だったとされます。
この大火を機に、明治新政府は東京を「不燃都市」に作り変える方針を打ち出しました。
背景には、銀座が新橋停車場のすぐそばにあり、東京の表玄関にふさわしい街並みが求められていた事情もあったようです。
文明開化のシンボル・銀座煉瓦街
銀座大火からの復興にあたり、政府は日本初の本格的な煉瓦街「銀座煉瓦街」を建設します。
設計を担当したのは、お雇い外国人のアイルランド人技師、トーマス・ジェームス・ウォートルスでした。
明治6年(1873年)に銀座通りが完成し、明治10年(1877年)には全地区が整いました。
ガス灯がともり、煉瓦敷きの歩道に街路樹が植えられた西洋風の街並みは、「文明開化」を象徴する風景として国民の憧れを集めたのです。
この時期に、新聞社・百貨店・西洋小物の店などが続々と銀座へ進出し、現在につながる繁華街の基礎ができあがります。
「金座」と「銀座」の違い

銀座と並んで、もう一つ覚えておきたいのが「金座」の存在です。
金座は、その名のとおり金貨を鋳造する役所で、江戸幕府が江戸・駿河・佐渡・京都の4か所に置いていました。
江戸の金座があったのは、現在の日本橋本石町、つまり今の日本銀行本店が建っている場所です。
金貨と銀貨は、江戸時代の経済を支えた両輪でした。
金座は明治2年(1869年)に廃止されましたが、その名は今も「金座通り」として日本橋エリアに残っています。
銀座を訪れる際には、日本橋まで足を伸ばして金座の跡地もあわせて巡ると、江戸の経済史をぐっと身近に感じられるはずです。
「銀座」が繁華街の代名詞になった理由

「戸越銀座」「武蔵小山銀座」「清水銀座」など、全国には「○○銀座」と名乗る商店街が数多く存在します。
これは、東京の銀座が明治以降に日本を代表する繁華街として発展した結果、その名にあやかった商店街が全国各地で誕生したためです。
「銀座」という二文字は、もはや特定の地名というより「賑わいと格を備えた商店街」を意味するブランド名へと変わっていきました。
一説には、全国の「○○銀座」と名乗る商店街は数百か所にものぼるとされます。
それぞれの地域で「うちの街にも銀座のような繁華街を」という願いを込めて名付けられた、町の誇りそのものといえる呼び名なのです。
銀座の由来を感じられるスポット

銀座を歩くと、由来や歴史を伝える碑やスポットに出会えます。
代表的なスポットは、次のとおりです。
- 銀座発祥の地碑(銀座2丁目):銀座役所があった場所を示す碑
- 煉瓦銀座之碑(銀座1丁目):明治期の煉瓦街を記念する碑
- 銀座柳の碑:銀座通りに植えられた柳並木を記念する碑
- ガス灯記念碑:日本初のガス灯設置を記念する碑
とくに「銀座発祥の地碑」は、銀座役所があった銀座2丁目のティファニー銀座本店付近にあり、地名のルーツを実感できる場所となります。
散策の折にこうした碑をたどってみると、普段の銀座が、まったく違った表情で見えてくるでしょう。
400年の歴史を持つ街を、自分の足で感じてみるのもおすすめします。
よくある質問

Q 「銀座」という地名の由来は何ですか?
A 慶長17年(1612年)に江戸幕府が設置した銀貨鋳造所「銀座役所」が由来です。
当時の正式な町名は「新両替町」でしたが、銀座役所があったことから「銀座」と通称で呼ばれ、その呼び名が後に正式な地名として定着しました。
Q 「銀座」はいつから正式な地名になりましたか?
A 明治2年(1869年)の江戸町名改正によって、正式に「銀座」が町名となりました。
それまで250年以上にわたって通称として使われ続けた呼び名が、明治政府によって公式の地名として採用された形です。
Q なぜ全国に「○○銀座」という商店街が多いのですか?
A 東京の銀座が、日本を代表する繁華街として広く知られるようになったからです。
明治以降、繁華街の代名詞となった「銀座」の名にあやかって、全国の商店街が「○○銀座」と名付けられるようになりました。
Q 銀座の発祥の地はどこにありますか?
A 現在の銀座2丁目、ティファニー銀座本店の付近に「銀座発祥の地碑」があります。
ここがかつて銀貨鋳造所「銀座役所」が置かれていた場所で、地名のルーツを伝える碑として今も残っているのです。
まとめ

銀座は、慶長17年(1612年)に江戸幕府が設置した銀貨鋳造所「銀座役所」が起源で、400年以上の歴史を持つ街です。
当初は通称でしたが、明治2年(1869年)に正式な町名となり、明治の銀座大火を経て煉瓦街として近代的な街並みへ生まれ変わりました。
やがて日本を代表する繁華街となり、その名は「○○銀座」として全国の商店街にも広がっています。
次に銀座を訪れるときは、由来や発祥の地碑を意識しながら歩いてみてくださいね。
ティファニー銀座本店のあたりが発祥の地、というのも意外と知られていないトリビアです。
散策のついでに、発祥の地碑や煉瓦銀座之碑をたどってみると、銀座の奥深さを再発見できるはずです。
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